■昔は正しくても、今は誤り
私は学校の歴史の授業で、鎌倉幕府成立は1192年だと習いました。語呂合わせで「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府」と覚えました。しかしその後、考証が重ねられ、鎌倉幕府成立は1185年に修正されました。現在の歴史の授業もそれに合わせているようです。昔は正しくても今は間違い、という知識は歴史の分野にはたくさんあるようです。
医学の分野においてもそのようなことがあります。昔は経験的に当たり前のように行われていた治療が、実験により検証されたり、より精度の高い検査機器の登場などにより、実は間違っていたとされることがあります。
■湿潤療法
以前は創傷は乾燥させた方が早く治るとされていました。そのため創傷が生じると、まずは傷口を洗って消毒し、ガーゼを当てて乾燥を促すという治療法が一般に行われてきましたが、現在ではこれは誤りとされています。
1950〜1960年頃から、Winterをはじめ多数の研究者から「創傷治療を促進させるためには創が閉鎖された環境が必要である」との報告が寄せられ、現在では湿潤療法という創傷治療の新しいコンセプトとして広まっています。安藤1)は湿潤療法について次のように述べています。
■傷を乾燥させると生きている細胞は死滅し、組織は壊死に陥るため傷は悪化する。また傷口にガーゼを当てると細胞成長因子を含む浸出液がガーゼに吸い取られ、傷口が乾燥するため創傷治癒が遅れる。
■消毒薬はタンパク質を変性することで細胞を傷害し、殺菌力を発揮する。この細胞傷害作用は、細菌よりも細胞壁の無い人体細胞により強力に作用することになるため、消毒をすればするほど傷の治癒が遅延する。従って創面には消毒薬は使用すべきではない。
創傷を湿潤状態に保つ方法については、一般公開されている日本皮膚科学会による創傷一般ガイドラインに次のように記述されています。
■ガーゼドレッシングでは創表面を乾燥させ、ガーゼ交換に伴って肉芽組織や再生上皮を損傷する可能性が高く、かえって創傷治癒を遅延させるという考え方が一般化してきた。これらのことより、創は湿潤させて治すことmoist
wound healingが推奨されるようになってきている。(p1662)
■創を湿潤状態に保つ方法には、@湿布、Awet-to-wet dressing、B油脂性軟膏貼付、C閉鎖性ドレッシングなどがある。(p1664)
上記のように、湿潤を保つためには傷口を何らかのドレッシング材で覆う必要があります。医療現場においては非常に様々なドレッシング材が開発されていますが、日常生活で手軽に使えるような市販品はまだ少ないのが現状です。とはいえ、少ないながらも湿潤療法を目的とした絆創膏も販売され始めていますので、薬局などで探してみましょう。
■異物を確実に除去する
創傷に対する消毒液の使用は前述の通り、いたずらに創傷部位の細胞を損傷することになりますから、適切ではありません。しかしながら屋外の転倒で擦り傷などができた場合、傷口に細菌のついた砂や泥などの異物が付着します。これらを十分に除去しないまま創傷をフィルムで覆ってしまうと、湿潤環境は細菌にとっても理想的な環境となり、感染症を引き起こすことになります。水道水でしっかりと異物を洗い流してください。
■浸軟は治癒を遅延させる
浸軟とは、いわゆる皮膚の“ふやけ”です。創傷一般ガイドラインによれば、過剰な湿潤により創周囲に浸軟が起こると上皮化が遅延する原因となるようです。そのためフィルムは皮膚に隙間無く貼り、外からの水分の侵入を防ぐことが重要です。
ドレッシング材も余分な浸出液を適度に吸収してくれる素材が望ましいのですが、市販品でそういった機能を持つものはなかなか無いようです。湿潤療法が今後もっと一般に浸透すれば、様々な機能を持つ保護フィルムが市販品で登場するかもしれません。
■湿潤療法の登場でリハビリテーションも変わった
以上、湿潤療法について紹介しました。ちなみにリハビリテーションに“物理療法”という分野があります。道具や外力を用いて治療するもので、電気療法や牽引療法、テーピングなどはこれにあたります。その中に、温風療法と言って創傷にドライヤー等で熱風をあてて乾燥を促す治療法がありました。私がまだ学生のころ、大学の図書館にあった昔の物理療法の教科書で見たことがあります。湿潤療法が提唱される以前は創傷を乾燥させることが標準的なケアだったため、当時としては妥当な治療法です。しかしこれは当然ながら誤りとされ、現在の教科書には載っていません。
■参考文献・引用文献
1)日本皮膚科学会:創傷・褥瘡・熱傷ガイドライン1:創傷一般ガイドライン 日皮会誌127巻8号1659-1687(2017)
2)安藤善郎:これからの正しい創傷治療―湿潤療法の取り組み―:逓信医学67巻3号185-196(2015)