■二重課題の能力が低い人は転倒リスクが高い
高齢者にとって転倒とは、高い確率で骨折や寝たきりになるリスクを伴う危険な出来事です。そのためリハビリテーションの分野では、事前に転倒の可能性を予測する様々な指標が開発されています。今回はそのうちの1つ、二重課題についてお話しします。
二重課題とは、ある程度集中力の必要な行為を同時に2つ行うことです。例えば喫茶店でコーヒーを運ぶ店員さんは、店の中をお客さんにぶつからないように歩きつつも、コーヒーをこぼすことはありません。しかし素人の私たちがそれをすれば、コーヒーへの注意がおろそかになってこぼしてしまうかもしれませんし、逆にコーヒーに注意を配りすぎてお客さんにぶつかってしまうかもしれません。「店内の障害物にぶつからないように歩くこと」「揺れる手元でコーヒーをこぼさないこと」この2つを同時にこなすことが二重課題です。もちろんこれは例の1つで、他にも二重課題の例は無数にあります。
■歩行中に話しかけて止まる人は転倒リスクが高い
高齢者で転倒リスクの高い人は、この二重課題の能力が低いと言われています。身体能力の低下により、その人にとって歩行の難易度が上がってしまうことや、加齢による注意力の低下が原因です。これを確かめる簡単な方法があって、それは「歩行中に話しかけて止まってしまうかどうか」です。
会話と歩行、2つの課題を同時に遂行することが難しいため、歩行をいったん中止しなければ会話に対応できないと考えられます。例えばこのような人が外を歩いていて、不意に知り合いから声を掛けられた状況では、急に会話によって歩行への注意を逸らされてしまい、足元の障害物につまずいて転んでしまうかもしれません。
Lundin-Olssonらの研究(参考文献参照)によれば、歩行中に話しかけられた高齢者の中で「話すために止まってしまった人」と「話しながら歩いた」を6か月間追跡調査したところ、「話しながら歩いた人」は6か月の間にほとんど転倒しなかったのに対し「話すために止まってしまった人」は8割程度が転倒していたということです。
■二重課題の能力はトレーニングで向上できる
先ほどの喫茶店でコーヒーを運ぶ店員さんの例に戻りますが、なぜ彼らがコーヒーをこぼさないのかと言えば、まず1つは店内でコーヒーを運ぶという二重課題を毎日繰り返し、二重課題を遂行する能力そのものが高まっているということがあります。
もう1つは、それぞれの課題へのスキルが高いことです。彼らは毎日店内を歩き、店内環境やお客さんの動向を熟知しています。そしてトレイに載ったコーヒーをいかに揺らさずに歩くかという技術も持っています。余談ですが、筆者はむかし喫茶店でアルバイトをしたことがあり、歩行の加速期と減速期にそれぞれトレイの傾きを切り替えることで、速く歩いてもコーヒーの水面を水平に保つという技術を教わりました。
つまりこの2つの課題は、素人の私たちにとっては多くの集中力を要する課題ですが、彼らにとってはさほど難易度の高くない課題ということが言えます。
歩行中の会話についても、これと同じ状態にすれば良いのです。つまり屋外の歩行がその人にとって難易度が高い場合は、歩行にギリギリまで注意のコストを振り分けており、会話によって少しでも注意が逸らされてしまうと転んでしまうわけですから、身体能力を上げたり歩行練習をすることで、歩行の難易度を下げれば良いということになります。
また二重課題を遂行する能力を向上させるために、注意力のトレーニングをすることも有効です。ただしそのまま外で会話しながら歩くことはやめてください。トレーニング中に転んでしまっては本末転倒ですから、失敗した場合を考慮して安全に気を配りましょう。同時に課題を遂行する能力をトレーニングするわけですから、例えば座って足踏みしながら計算する、というのも二重課題のトレーニングになります。
身体能力向上のための運動と、注意力を上げるトレーニング。この2つを継続的に行うことで、転倒への対策をすることができます。次回は転倒予防のために二重課題の能力を上げるトレーニングについて、もう少し深く掘り下げてみましょう。
■参考文献
Lundin-Olsson L, Nyberg L, et al.: “Stops walking when talking” as a predictor
of falls in elderly people. Lancet. 1997; 349(9052): 617.